私の心の道 -フライブルク
静けさの祈りが聞こえる

30年前のちょうど7月、夏の緑の美しいフライブルクへ到着した。
翌朝(主人に連れられて)の車で町を回ったときのこの町の緑の美しさ、Waldseeの風景の印象が今でも私のフライブルクの第一歩として鮮やかに残っている。また自然にあふれた静かな景色が町の所々に散々していることにただただ驚かされた。Waldseeで水鳥がその景色にかわいさを加えていた。

それから30年経った今、色々なことがフライブルクの町にもあり、そこでの私の生活に様々なことが通り過ぎていった。今もこの町は美しさを毅然とも言える姿勢で見せていると思うのは私だけであろうか。その間、いつもこの町の美しさは私の心をとらえ、そして私のフライブルクでの生活の道しるべとなっていた。

30年前、チェリストである夫がドイツでの音楽生活を始めることをきっかけに、私のドイツ生活が始まった。子供や孫とともに過ごす生活となったが、考えてみると短いようであり、色々な得がたい生活体験に満ちた素晴らしい生活を送れてきた様に思う。よい友人に恵まれ、素晴らしい出会いがいくつも思い出の中に残っている。違った国民性の中での生活は時折どうしようもないほどの未解決な問題を心の中で抱え込むこともありながら、一方では日本の自分の故郷とは違った素晴らしい体験ができるということもあると気がつくと、絶えず自分のアイデンティティーの確認をしているという落ち着かない心の作業をしながらも、新しい発見で心楽しくなるという事になるようだ。

特にこの町にこられていつも本当に幸せだと思う事は、今までの魅力ある町づくりやそれをリードしてきた人々のセンスがなかなか奥深いものと脱帽してしまう所にあるかもしれない。そうした中で私は絶えず心楽しく、新しい発見ができ、出会いの中で共感を得ながら生きて来られた。そしていつもこの美しい町のセンスはどこからくるのか心の中で問いかけていた。

いつの日か世の中が自然の破壊や水の汚染、空気汚染に対して環境を考え始めた頃、この町のこのセンスが一気に関を切ったようにダイナミックに動き始めたような気がする。当時の人口は今より少なく、この小さな大学町のどこにこのドイツの国を動かそうとするばかりの力があるのかと私は不思議であった。当時来たばかりの私はちょうど町の近くにあった原発建設反対運動の真っ只中にいたわけだが、あいにくまだ右も左も分からない異国のドイツの生活に慣れるのに夢中で、後になってから認識することになった。この運動に参加した人々も知人や友人にも何人かいて話を良く聞くと現実感があって興味深く、数年後時折そうした情報をぽつぽつと日本に伝えてはますます私の中で環境に対する価値観が形成されていったものである。

25年前日本からの視察団が圧倒的に町づくり、都市計画をテーマとして町を訪れていた。しっかりとした町のインフラとしての政策が昔も今もこの町の魅力である。その後15年位前から環境をテーマに視察団が町を訪れるようになった。次第に数も多くなり、私自身市や市の経済観光公社日本業務代行としてその応対をしながら、色々な現場体験を通じて、フライブルクの新しい動きを改めて知ることができるようになった。
このコーナーではフライブルクの世界に誇れる環境政策を、前田成子が定期的に紹介していきます。

前田成子 (まえだ しげこ)

フライブルク市環境政策を過去20年以上にわたり、日本に紹介。現在フライブルク市・FWT(フライブルク市経済観光公社)日本アジア業務代行、松山・フライブルク市姉妹都市コーディネーターとして, 市とFWTのプロジェクトである「フライブルク市環境セミナー」を開催・コーディネートしています。この実績を元に約30年の在独経験を生かし、幅広いジャンルでコーディネート、コンサルティングなどを行っています。

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