第二次世界大戦では空襲を受け、旧市街のほとんどが破壊されましたが、以前と変わらぬ姿へと復興を遂げました。
フライブルク市の成立は1120年で、その後中世の商業都市として発達してきました。この地に1457年(日本の室町時代)、フライブルク大学が創立されたことを機に街は繁栄することとなります。現在のフライブルク大学は著名な哲学者、マルティン・ハイデッガーが教鞭をとった哲学科以外にも、医学、法学、経済学、森林学などでドイツ国内外に有名です。

高度成長期、電力供給量が将来不足するという予測を元にバーデン・ヴュルテンベルク州は1971年、フライブルクから約30キロ離れたヴィールに原子力発電所を建設する計画を打ち出しました。これに対し、ヴィール周辺のワイン農家の人々は原子力への信頼性と必要性を問うためデモを行いました。この原発問題は1986年のチェルノブイリ事故を受けて農業従事者のみならず、学生や一般市民も巻き込んだ運動に発展、これがきっかけとなってフライブルクでは原発に対してだけでなく、環境問題全般への意識が高まってゆきます。これらの環境運動の背景には、前述したようにフライブルクが大学都市としての古い歴史を持ち、市民の知的レベルが非常に高いことも挙げられます。

また、フライブルクでは他の都市と同様、1960年代からマイカー人口が増加し、1970年代には交通渋滞が深刻化しました。排気ガスによる大気汚染、さらに酸性雨によるシュヴァルツヴァルトの樹木の枯死などの悪影響が見られたため、市は環境にインパクトのない路面電車を中心とした公共交通網の構築に力を注いでゆきます。1984年には環境定期という画期的なシステムが登場しました。1986年にはドイツの都市の中ではいち早く環境保護局を設立。省エネやごみ対策など総合的な自然環境保全と経済発展の両立という思想の元、環境対策に取り組む事となります。

1992年 「自然と環境の保全に貢献した連邦都市」という称号を受け、フライブルクは「環境都市」として世界的に有名な都市になりました。

HOME | フライブルクの環境への取り組みの歴史的背景